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未来の大人たちへ

2011年10月22日(土)
この日は、私の48回目の誕生日でした。
あれから・・・もう10日。
あの日のことを書き留めておきたいと思いながら、
さまざまな自分にとって大切なことが毎日あり、
なかなか書く時間とエネルギーをとれず、今日になってしまいました。
この日は、忘れられない一日になりました。
私が卒業した立野小学校の創立100周年をお祝いする記念式典で、
姉弟揃っての演奏をさせて頂きました。
私たちは、それぞれ音楽の道へ進んできましたが、
弟はロックで、私はクラシック。
二人が一緒に演奏をする機会というのは、殆どありません。
非常に光栄なお話を頂きながらも
実は、私はずっと、
「どんなプログラムにしたら良いのだろう・・・」
と、とても心配になっていました。
ところが、8月の半ばに打ち合わせの為に小学校を訪問し、
担当の先生方とお会いし、
実際に演奏する予定の体育館のステージに立ち、
何曲か即興で歌ってみたりしていくうちに
迷いと不安がどんどん晴れていきました。
立野小学校は、音楽教育が盛んで、
子供たちは常に音楽に触れている。
演奏のレベルも演奏を聴く姿勢もできている。
「夢を実現されたお二人の素晴らしい演奏を
 子供たちに聴かせたい。
 そして、子供たちに夢や希望を持つことの大切さを
 伝えて頂けませんか。」
それが、その時の
副校長先生のお言葉でした。
私は、自分の学校の子供たちを誇りに思っていることを感じ、
感動しました。
他の先生方もキラキラした笑顔で、
子供たちが音楽が大好きなこと、小学校や地域の歴史、
壁のない教室や色分けされ、それぞれに名前の付いた階段のことなど
立野小のあれこれを教えてくださいました。
礼儀正しくも純粋で明るい子供たちの姿が見えてくるようでした。
そうして、私たちは・・・まず!
プログラムの最後にサプライズで「気球に乗ってどこまでも」を
みんなと一緒に歌おう!!
ということを決めました。
私たちが子供のころ、誰もが大好きで何度も歌った曲で、
何と、今の子供たちも大好きでいつでも歌える曲なんだそうです。
あのころ、ちょっと洒落て感じたポップなリズムと
夢のある歌詞、歌いやすく伸びやかなメロディー。。。
私たちがイメージする立野小学校の子供たちにピッタリだったからです。
そして、次には、合唱部の子供たちにお手伝いいただいて、
私が「アメイジング・グレイス」を歌おう!!
ということになりました。
あとは、私、弟・・・それぞれのレパートリーの曲を一曲づつ、
それぞれのスタイルで歌おう!
そう決まりました。
私には、みんなに伝えたいことがありました。
副校長先生は、「夢を実現された・・・」とおっしゃったのですが、
私は「歌手になりたい」という夢を持ったことが残念ながら無かったのです。
小学生の時の夢は「山の分校の先生になること」でした。
今思うと、多分、私が立野小学校で教えて頂いた先生が皆、
尊敬できる、素敵な先生だったからだと思います。
私は、
「自分の良いところを知ること。
 人の良いところを見つけること。
 助け合い、協力しあって、クラスを盛り上げていくこと。
 楽しむためには努力が大切なこと。」
そんなことを教わってきたように思います。
自分の良いところと悪いところを知った時、
私は、自分が「学校の先生」という仕事には向いていないことを悟りました。
一方、
「歌うこと」は私の中で、幼いころから当たり前に存在し、
失うことのできないものでした。
ずっとずっと探究したくなって、
ずっとずっと続けてきた結果が、
生涯続けていきたい仕事になっています。
私に才能があったわけではありません。
ただ、できないことはできるようになりたいと思い
頑張ってきました。
足りないところは、埋めていけるよう頑張ってきました。
自分自身との戦いです。
そうして、私は今、こうして、皆さんと一緒に音楽を奏でる機会を頂くことができました。
私の体から発する声を皆さんがどう感じて下さったか・・・
それが私が伝えたかった夢です。
「夢」は、時に表面の形を変えて良いのだと思います。
「何になりたいか」ではなく、
そのことを通して「何をしたいか」
それが私の思うところの「夢」です。
私の「夢」の形は変わってしまったけれど、
小学生の時に感じていた「夢」を通して「したかったこと」は、
多分、ずっと変わっていないのだと思っています。
人は皆、無限の可能性を持っているのだと
信じて止みません。
あの日、イメージしていた以上の愛おしい皆さんとお会いでき、
私たち姉弟の歴史の結果としての歌を届け、
そして、体育館中の皆で歌った感動を
決して忘れません。
どうぞ、必ず、皆さん、それぞれの夢を叶えて下さいね。

才能

今年、私の卒業した小学校は創立100周年を迎える。
来る10月22日、
私と弟は、記念式典の中の「ようこそ先輩!」というコーナーで
演奏をするという非常に光栄な機会を頂くこととなった。
私の小学5~6年の担任の先生だった松崎先生は、
小学校の音楽教育に非常に貢献をされた方で、
以来、立野小学校は音楽のクラブ活動などに熱心で、
近年では、合唱部や吹奏楽部が様々なコンクール等へ出場し、受賞を受けているらしい。
「立野小学校の歴史の中で、音楽は切り離せないものなんです」
と、現副校長先生が私たちに説明して下さった。
残念ながら、私は小学生のころ音楽を職業にするようなことは、
夢にも考えていなかった。
私の夢は「山の分校の先生」で卒業アルバムにもしっかりとそう書いてある。
なんというか・・・何の面白味もない、どちらかと言うとただの優等生。
音楽に関して言えば、まぁそこそこ。。。
私の周りには、アパートの上階から聴こえてくるピアノの音を
楽譜も無く、どんどん弾いてしまうという友達がいたし、
松崎級は、兎に角、皆、音楽が大好きで、レベルが高かった。
ただ、今にして思えば、
何故か私は、松崎先生が指揮を務めてらした学外の合唱団のオーディションに合格し、
そのことが現在の礎になったのかな・・・。
先生との出会いは、前にもここで書いたけれど、
小学校2年生の時の「まっててね」
確かに3歳までに童謡100曲を覚え、毎日歌っていたと母が語るほどの
「無類の歌好き」であったのかもしれないが、
「私と歌」が切り離せないものであると気付かせてくれたのが先生なのかもしれない。
ただ、私は自分には才能が無いことを自覚できていた。
弟とは四つ違いで、私が小学5年生の時、彼は入学してきた。
・・・と間もなく、
「1年生の廊下に行ってごらん!また弟が立たされてるぞ!」
とよく先生から言われた。
「あちゃ~、まただ。」
小さくてほそっこい弟は、じっとしていることが無く、
いたずらも大好きだった。
まぁ・・・とにかくいつも動き回ってるという印象。
すばしっこい、やんちゃな少年だった。
彼が小学4年生の時、
彼曰く、「学校放送で呼び出された」
「今度は何を叱られるんだろ・・・?」と恐る恐る職員室に行くと
松崎先生が、
「今年の運動会で鼓笛隊の指揮者をやりなさい。明日から朝練です!」
と言われたと。
その頃、中学生だった私は、とても驚いた。
何しろ、その役は、毎年、6年生の健康優良児に選ばれた人が任命される
非常に栄誉あるお役目で、運動会の花形だったからだ。
何故それをこのやんちゃ小僧に・・・?
ともあれ、選ばれたのだから頑張るように言ったと思うが、
本人にはまだ自覚なく、
「それってかっこいいこと?」とかなんとか聞いて、
「そうだよ」というと、
「じゃぁ、頑張る!」とか言ったような記憶。。。
これは、随分後になってから聞いた話だが、
翌日から
「地獄の猛特訓」が始まったそうだ。
毎日、自分の背丈ほどもありそうな「ポール」を
ランドセルを背負った彼が持ち帰り、
家でも自主練を楽しげにしていたという印象だったが、、、
実は、
「今まで、6年生の健康優良児の人がやっていたことだけれど、
君を選んだ。鼓笛隊を引っ張っていく大事な役だ。」
と中途半端な気持ちではいけないことを説明され、
子供心に物凄いプレッシャーを感じていたらしい。
運動会当日、
私は小学校に隣接する坂の上から、彼の雄姿を見た。
軽快に小気味よくポールで拍を打ちながら、
鼓笛隊を先導していき、
朝礼台の上で「ピーピッ!ピッ、ピッ、ピッ!」と
最後に笛で、皆を静止させた時には感動した。
「何故、あんなちっちゃこい子が・・・」
と怪訝そうに見ていたご父兄さんたちも
大喝采を送ってくれていた。
彼の才能を思い知った最初の瞬間だった。
「彼は、リズム感が良く、運動神経も良い。
あのポールを持って、音楽を導き出しながら、皆を先導していくことは容易ではない。
音感、リズム感だけでなく、筋力も必要」
ということで、松崎先生は、弟を勇気ある大抜擢をしてくれたようだった。
私は、彼よりも年長で、まぁ学校の成績も良い方で、
両親に面倒もかけない。
だけど、彼の才能には永遠に叶わないなと思った。
私には、才能は無い。
ただ、歌うことが好きで、辞めることが出来ない。
だから、どうしたら納得いくように歌えるようになるのかと
日々追い求めているだけ。。。なのかな。
まだ、良く分からない。
そんな二人が、母校の100周年記念で同じステージに立たせて頂く。
ロックとクラシック
相反するような道を歩んできた私たち。
弟は今年、デビュー25周年を迎え、
その年に「アーティスト封印」するという。
芸能界で「アーティストであり続ける」ことの難しさを痛切に感じた。
あの小学4年生の運動会。
誰からも期待されず、自分の才能にも気付いていなかった小さな少年が、
プレッシャーを跳ね除けるように
必死で臨んだこと、
そこから自然に表出されたオーラ。
あの原点にタイムスリップして、
封印までの数か月を思いっきり輝いて欲しいなと思う。
たとえ、彼が「封印宣言」をしたとしても
「才能」とは、無くなるものではないし、
「才能」は、逆に付き纏い・・・
時に人を苦しめる。
そこに打ち克つことで、また真の芸術が生まれ出てくるのかもしれない。

静かなる・・・

先週末からスタジオの定期公演の稽古が始まった。
先ずは振付から。。。
今回、出演者が少ないこともあるのか、
非常に「静かなる稽古場」
でも、凄く「大人な」稽古が続いている。
亜矢子先生の振付&演出は、
私が作品に込めた思いを見事に具現化してくれている。
そして、その思いを受け取り、お客様に届けたいと
自分が媒体になろうと
実に真摯に
自分の役割に向かっている生徒たちがいる。
「静かなるエネルギー」に溢れた稽古場。
まだ、振り付けの段階でありながら
魂が宿る表現がそこここで見受けられる。
かつて、このような現場があったかなぁと思ってしまった。
何なんだろう?この雰囲気?
不気味なほどに
一人一人から「静かなるエネルギー」を感じる。
実に充実した時間。
最後まで、高き理想を掲げ、妥協をせずに頑張ろう。
楽しいシーンはう~~んとハチャメチャにねっ!!

響きあう感性

昨日、生徒がアルバイト帰りに録音音源を届けてくれた。
8月25日のスタジオ定期公演の演出&振付のための音源。
今、私はこの公演の準備の為に
忙しい毎日を送っている。
昨日はチラシに載せるためのメッセージで行き詰まって、、、
一日悶々としていた。
演出の亜矢子さんと夜中に何度もやり取りをして、
思いを汲み取って、表現してくれた修正案を送ってくれて、
方向性が見えたので、
「もう、今日は考えるのを辞めよう」と
寝ることにした。
そうして、ベッドに横になり、
届けてくれた音源を聴いた時、
視界が晴れたような気がした。
凄くいい。
一部の最後の曲として選んだこの曲は、
確か・・・4月ごろ?
彼女がライブで歌った中の一曲。
その頃、これまた定期公演の構成案で行き詰ってた私の視界を
ぱっと晴らしてくれた演奏だった。
私が今回届けたい思いが集約されているような詩で
明るく、柔らかく、艶やかで、力強い、
しかしながらどこか哀愁のある彼女の歌声と
感情に走り過ぎない表現が
押し付けがましくなく、心を震わせる。
これだ!!と心の中で叫んだこと、今でもはっきり覚えている。
そうした経緯があって、
この曲の伴奏アレンジを
彼女のお母さまにお願いした。
お母さまは、ご自身でピアノ教室を主宰されていて、
なんと偶然にも
本番の伴奏ピアニスト良子ちゃんとは、
音大の同級生だった。
去年、思わぬ形で再会をして盛り上がった!!
「~ちゃん」と呼び合う私たちだけど、
考えてみれば、もういいおばさんなのだから
可笑しいですね。
話は戻って、
この歌うお嬢さんとピアノを弾くお母さん、
お二人の共演は実に素敵なんです。
普段は、あまり感情の揺れを表に出さず、
いつもふんわりとにこやかにされている母娘さんですが、
音楽の中では、お二人の感性が響きあい
豊かに感情の揺れ動きを私たちに届けてくれます。
届けてくれた音源にも
そんな二人の感性の響きあいが
優しく、力強く、詰まっていました。
風の音が聞こえてくるようです。
そうして、私は何度も何度も
演奏を聴きながら
ようやく今朝・・・メッセージを書き上げました。
作品はこのようにして、沢山の人の感性が響きあって、
徐々に形になっていく。
どなたかの素敵な感性と
響きあうことが出来るよう
私もいつも自分を磨いていたいと思いました。

隠れ家

Banboo
元美容師の大ちゃんが、第二の人生を歩むために寄宿舎付の学校へ入ってしまうんで、
遂に美容師さんを紹介してくれて、、、はや3ヶ月。
今でこそおしゃれな街と騒がれている中目黒にある彼のお店は、
駅から歩いて4~5分。
だけど、知らなきゃ絶対分からないってくらい、
こじゃれたお店とお店の間の隙間を入ったところに、
「ここ開けていいの?」と思わせる扉を開けるとある。
しかも、この前まで工事していた数件手前のお店は、
おしゃれな美容室が開店してるじゃぁありませんか!!
このままで良いのだろうか?
私の方が心配してしまうが、、、、
きっと、彼は
「いや、いいんです。僕、不器用ですから・・・」
とか言いそう。。。
大人の隠れ家っていうより、
いたずら小坊主の隠れ家って感じ。
何故か、いつもセメントを溶かす箱が置いてあって、
どうやら常に店内が変化しているらしい。
何とも言えない温かみのあるミルキーホワイトに塗られた壁も
鮮やかなピンクで書かれた英字も
アルミホイールで作られたオブジェも
全て彼の作品。
「ごめんなさい。私、カラーはヘナじゃなきゃ嫌なんです。」
「パーマは好きじゃなくて」
・・・という我が儘な客に対して、
スチーマーから始まり、念入りなシャンプー、
手際の良いヘナ。
そして、殆ど長さは変えないのに
1時間ほど・・・まぁ丁寧にカットをしてくれる。。。
私が大ちゃんのお客さんってことが
相当にプレッシャーになっているみたい。
何しろ、大ちゃんは外見は変人。
全くもって訳の分からない事ばかり言っている変なオジサンだが、
彼の感性のカットは誰にも真似が出来ない。
彼曰く、「俺は自然界からヒントもらってるからさぁ」
本当かどうか分からないが、とにかく頭になじむスタイルを作り出す。
山本さんは、全く正反対のタイプのようだし、
大ちゃんの奇想天外な行動には手を焼いているように見えるけど、、
美容に関しては、やはり一目置いてるんだろうなって感じ
ひしひしと伝わってくる。
だから、私も山本さんを信じることにした。
正直、まだ大ちゃんのカットが忘れられないんだけれど、
この・・・誰にも媚びずに存在している美容院が妙に気に入っている。
何だか、この街にはそういう気骨のあるお店が点在しているように感じられた。
万人に人気があるというのもHAPPYなことだと思うけれど、
自分が「こうだ!」って思うことを、淡々とやり続ける、
しかも探求を重ねて進化しながら・・・
自分が「これだ!」って思うものだけを売っている、
しかも選び抜く感性を常に磨きながら・・・
そんな日常を送っていることほど
幸せなことはないのではないかと
思った。
今日は、あの隠れ家でどんなことが展開されているのだろうと
ついつい思いを馳せてしまう。。。

復興への賛歌

自然の猛威の前で
我々は、無力であった。。。
いえ、必死に戦ったのだと思う。。。
それでも・・・
多くの尊い命が奪われてしまった。。。
それでも我々は
自然と共に生きていかねばならない。
自然の猛威を畏れながらも
自然を慈しみ、愛し、
恵みに感謝しながら。
そして、
もう、決して
人災は、引き起こさぬよう、
我々は今こそ、
己を見つめ直し、
己の弱さに打ち克ち、
弱き他者を助け、
絆を大切に、
社会の諸悪に立ち向かっていく勇気を
持たなければならないのだと思う。
自分の周りの
たとえ小さな戦いであっても。。。

恩返し

日曜日、恩師の喜寿パーティがありました。
先生との出会いは、小学1年生。
新一年生を迎える会で「待っててね」という曲を演奏することになった私たちのクラスに、
先生は、たった一回、指導にやってきて、
「このこのように大きなお口を開けて歌いなさい」
と私を指さした。
嬉しくもあり、恥ずかしくもあり・・・。
気が付けば・・・あれから40年!!
びっくり~~~
私にとっては、全く思いがけずにみんなの前で褒められた衝撃の出会いから、
忘れたころに、5~6年生で担任の先生に、、、
先生に勧められて受けた合唱団。
クラスの中でただ一人受かってしまって・・・
あれから私の音楽人生が始まってしまったんだと思います。
本当は、先生は私が小学校の先生になり、
自分の後を継いで、合唱団を指揮することを
望んでいたのではないかなあ・・・と思う。
でも、私はずっと、そんな先生の期待を裏切ってきた。
私には、トラウマがあって、
いつもどこかで「目立ちたくない」という気持ちがある。
それを知ってか知らずか・・・
そんな私をいつも前へ引っ張り出してくれてしまう。
「やだな」と思いながら、
お役目を果たす。
昨年の合唱団45周年の定期演奏会で
にわか合唱団として結成されたOG合唱団。
そこでも4小節の晴れやかなお役目を仰せつかった。
喜寿パーティでは、その時の曲と
定演で必ず幕開けに演奏する曲を
20人のメンバーで演奏した。
今回は、お祝いの会だからと
珍しく私の中で、4小節のソロをすんなりと受け入れていた。
一曲目の前奏が終わって、
「そ~よ~ふく♪」と歌いだした瞬間に
私は、
「待っててね!」の口になってる自分に気が付いた。
涙が溢れてきて、止まらなくなった。
歌えない。。。
40年の間の出来事が次々と走馬灯のように回って・・・
それでも歌うことを続けてきた自分が
今ここに立ってる。
こんなに好きなことに出会わせてくれた先生に
感謝の気持ちでいっぱいになった。
歌えない。。。涙で歌えない。。。
気付くと、
真ん中のテーブルから、先生が指揮をしていた。
多分、みんなが感情が高ぶり過ぎて、
ぐちゃぐちゃになっていて、
見かねて、思わず振り出したのだと思った。
みんなが徐々に冷静を取り戻し、
笑顔に変わって、タクトに合わせているのを感じた。
いけない!
私は、歌わなければ!
それがご恩返し。
人の心に届く歌を歌えるようになること、
それがご恩返し。
そう考えるのが正しいのかどうかわからない。
音楽というのは本当に不思議だ。
私が思ったことと同じかどうかは分からないが、
20人の心の波動が一つになるのを感じた。
いや、
きっと、皆それぞれに思いは違う。
みなそれぞれに違う出会い方と歴史と思い出があるに違いない。
いずれにしても
私たちはみな音楽で繋がっている。
勿論、普段音楽と関わっている人はほとんどいない。
でも、今、この瞬間、音楽で繋がっている。
歌うことの喜びを
沢山の出会いをありがとうございます。
そして、まだまだこれから。
歌い続けますからね!!